仕事のことを忘れる日が、必要だった。
会議、資料作成、数字の管理、人事評価、突発的な対応。
管理職として働いていると、気づけば頭の中のほとんどが仕事で埋まってしまいます。
休日になっても、完全に仕事から離れられるわけではありません。
「あれは大丈夫だっただろうか」
「週明けまでに何を片づけないといけないだろうか」
「2030年まで、この働き方を続けられるのだろうか」
そんなことを考えているうちに、自分の時間なのに、自分のものではないような感覚になることがあります。
だからその日は、覚悟を決めました。
きっと後で後悔することになる。
でも…それでも…それがどうした。
構わない。
「今日は、仕事のことを忘れる」
向かったのは、鳥取県の若桜方面。
道の駅 若桜「桜ん坊」と、若桜ゆはら温泉を目指す日帰りドライブでした。
雨の中を走る道中は、濡れた緑が鮮やかに色を放って、車に響く雨音をBGMに晴れた日のドライブとはまた趣が違っていいものでした。
途中の林道では、5メートル先も見えない濃い霧の中、まるで雲の中を走っているような不思議な感覚や「森の主」のような巨木にも出会いました。
豪華な旅ではありません。
昼食は、コンビニでいつものカップヌードル・シーフードとおにぎり。
でも私にとっては、それもまた「旅に出た日」の味です。
知らない道を走り、雨の匂いを感じ、温泉で体をあたためる。
その時間の中で、少しだけ自分の呼吸が戻ってくるような気がしました。
この記事では、仕事に追われる毎日の中で、雨の若桜ドライブに出かけた日のことを書いてみます。
自由を求めて一人で出かけたはずなのに、最後には家族の顔が見たくなった。
そんな、自分でも少し不思議だった一日の記録です。
仕事を忘れると決めて、若桜へ向かった
その日は、仕事のことを忘れると覚悟を決めました。
普段なら、休みの日でも頭のどこかに仕事があります。
週明けの会議。
残っている資料。
確認しないといけない数字。
人事評価。
部下への声かけ。
突発案件への不安。
休みの日なのに、頭の中だけはまだ職場に置きっぱなしになっているような感覚があります。
けれど、その日は違いました。
少なくとも車を走らせている間だけは、仕事のことを考えない。
そう決めて、岡山市内から鳥取県の若桜方面へ向かいました。
目的地は、道の駅 若桜「桜ん坊」と、若桜ゆは原温泉。
特別に大きな計画があったわけではありません。
観光名所をいくつも巡るような旅でもありません。
ただ、知らない道を走りたかった。
雨の匂いを感じたかった。
山の中に入りたかった。
温泉で体をあたためたかった。
ワクワクドキドキする感覚を思い出したかった。
そして何より、仕事に奪われ続けている自分の時間を、少しだけ取り戻したかったのだと思います。
雨の山道は、濃い霧に包まれてまるで雲の中を走っているようだった
若桜方面へ向かう道は、雨でした。
晴れた日のドライブも好きですが、雨の日の山道には雨の日にしかない良さがあります。
空は低く、山には霧がかかり、道の先が白くにじんでいました。
車の窓を打つ雨音を聞きながら走っていると、徐々に霧が濃くなり、ついには5メートル先も見えなくなり、まるで雲の中に入っていくような感覚がありました。
少しだけ怖い。
でも、少し楽しい。
きたきた。いつもの感じ。
知らない道を走るとき、私はいつも少し緊張します。
この先は大丈夫だろうか。
パンクしたらやばいな。
熊とか出くわさないよな。
引き返せなくなったらどうしよう。
そんな不安もあります。
でも、それと同時に、心のどこかでワクワクしている自分もいます。
知らない道。
知らない景色。
いつもと違う空気。
その中に入っていくとき、普段の管理職としての自分が少しずつ薄れていくような気がします。
職場での役割や責任から、少しだけ離れられる。
「部長」としてではなく、ただ一人の人間として、知らない道を走っている。
それだけで、少し呼吸がしやすくなる気がしました。
林道の途中で出会った「森の主」のような巨木
道中、林道の途中で大きな木に出会いました。
思わず車を止めたくなるような、存在感のある巨木でした。
雨に濡れた幹は黒く、周りの緑はしっとりとしていて、その木だけが長い時間を背負って立っているように見えました。
私はその木を見て、「森の主みたいだ」と感じました。
もちろん、本当にそういう名前があるわけではありません。
ただ、そう思ってしまうほどの迫力がありました。
毎日、職場では時間に追われています。
何時までに資料を出す。
いつまでに報告する。
この数字を確認する。
この件を処理する。
次の会議に間に合わせる。
そんな時間の流れの中にいると、自分の感覚まで細かく刻まれていくような気がします。
でも、その巨木は違いました。
何十年、もしかすると何百年という時間を、ただそこに立って過ごしてきたのかもしれません。
急がない。
焦らない。
何かを説明しようともしない。
ただ、そこにある。
その姿を見ていると、自分が普段どれだけ急かされて生きているのかを思い知らされるようでした。
道の駅 若桜「桜ん坊」で、お土産を買った
最初の目的地は、道の駅 若桜「桜ん坊」でした。
道の駅に着くと、旅に出ている感じが少しずつ強くなります。
駐車場に車を停める。
知らない土地の空気を吸う。
売店を歩く。
お土産を眺める。
それだけのことなのに、いつもの休日とは違う時間になります。
道の駅では、家族へのお土産を買いました。
自分一人で出かけているのに、自然と家族のことを考えている自分がいました。
何を買って帰ったら喜ぶだろうか。
これは子どもたちが好きそうだな。
妻はこれをどう思うだろうか。
自由になりたい。
一人で知らない場所へ行きたい。
仕事から離れたい。
そう思って出かけているはずなのに、道の駅でお土産を選ぶ時間には、ちゃんと家族が入ってきます。
それが少し不思議で、でも悪くない感覚でした。
旅の昼食は、コンビニでいつものカップヌードル・シーフードとおにぎり
昼食は、コンビニでいつものカップヌードル・シーフードとおにぎりでした。
せっかく旅に出たのだから、ご当地グルメを食べればいいのかもしれません。
でも、私にとってはこの組み合わせが旅の定番になっています。
コンビニで買ったカップヌードルとおにぎり。
特別豪華なものではありません。
写真映えするような食事でもありません。
それでも、旅先で食べると不思議とおいしい。
車の中で食べるカップヌードル。
雨の音を聞きながら食べるおにぎり。
いつもと同じ味なのに、いつもとは違う味がする。
たぶん、食べているものだけが大切なのではないのだと思います。
どこで食べるか。
どんな気持ちで食べるか。
その日、自分がどこへ向かっているのか。
それによって、同じカップヌードルでも、ただの昼食ではなくなります。
私にとってコンビニで食べるカップヌードル・シーフードとおにぎりは、「旅に出た日」の味です。
若桜ゆはら温泉で、体と心がほどけた
次に向かったのは、若桜ゆはら温泉でした。
大きな観光地の温泉というより、昔ながらの地元に愛されている温泉という印象でした。
内湯がひとつ。
派手な設備があるわけではありません。
でも、そこがよかった。
静かで、落ち着いていて、余計なものがない。
湯船に入ると、雨の中を走ってきた体がじんわりとあたたまっていきました。
肩の力が抜ける。
頭の中に残っていた仕事のざわつきが、少しずつ遠くなる。
呼吸が深くなる。
「ああ、こういう時間が欲しかったんだ」
そう思いました。
仕事を辞めたい。
自由になりたい。
会社に人生の時間を全部預けたままでは終わりたくない。
そう思う理由は、収入や働き方だけではありません。
こういう何でもない時間を、自分のものとして感じたいのだと思います。
雨の音。
温泉のあたたかさ。
知らない土地の静けさ。
体の中に戻ってくる呼吸。
それらを感じていると、少しだけ自分が自分に戻ってくるような気がしました。
自由を求めて一人で出かけたら、家族の顔が見たくなった
温泉で体があたたまると、不思議なことに家族の顔が見たくなりました。
私は自由を求めて、一人で出かけました。
仕事から離れたい。
自分の時間を取り戻したい。
誰にも急かされず、知らない道を走りたい。
そう思って若桜まで来ました。
けれど、温泉で心と体がゆるんだとき、思い浮かんだのは家族の顔でした。
帰ったら、みんなは何をしているだろう。
お土産を喜んでくれるだろうか。
今日は父の日だったな。
そのとき、自分の中で少しはっきりしたことがあります。
私は自由を求めています。
でも、帰る場所まで手放したいわけではありません。
会社に縛られすぎる働き方からは離れたい。
自分の人生の時間を取り戻したい。
知らない道を走り、まだ見たことのない景色に出会いたい。
でもそれは、家族や生活を捨てたいということではありません。
むしろ、ちゃんと帰る場所があるから、一人で出かける時間も豊かになるのかもしれません。
自由と家族は、どちらか一方を選ぶものではない。
少なくとも今の私は、そう思いました。
帰宅後の父の日の食卓
家に帰ると、父の日として家族が豪華なご飯を用意してくれていました。
子どもたちは、手作りのケーキも作ってくれていました。
雨の中を一人で走り、山道を抜け、温泉に入り、家に帰る。
その最後に、家族の食卓がありました。
その光景を見たとき、少し胸があたたかくなりました。
私は自由になりたい。
もっと自分の時間を持ちたい。
仕事に人生を削られ続ける生活から抜け出したい。
その気持ちは本当です。
でも同時に、家族との時間も大切にしたい。
帰る場所も大事にしたい。
自分だけが身軽になれればいいとは思っていない。
そのことも、同じくらい本当でした。
だからこそ、2030年に向けた挑戦は簡単ではありません。
自分一人の夢だけなら、もっと身軽に動けるのかもしれません。
でも、私は家族や生活を背負っています。
だから焦る。
だから迷う。
だから簡単には進めない。
それでも、自分の人生の時間を取り戻すことを、諦めたくはありません。
若桜ドライブで取り戻した「人生の呼吸」
今回の若桜ドライブは、特別な観光旅行ではありませんでした。
雨の中を走り、道の駅に寄り、カップヌードルとおにぎりを食べ、温泉に入って帰ってきただけ。
そう言ってしまえば、それだけの一日です。
でも私にとっては、仕事に埋もれた日々の中で、自分の呼吸を取り戻す一日でした。
知らない道を走ること。
雲の中を進むような雨の景色を見ること。
森の主のような巨木に出会うこと。
道の駅で家族へのお土産を選ぶこと。
いつものカップヌードルを旅先で食べること。
地元に愛されている温泉で体をあたためること。
そして、帰宅後に家族の食卓に迎えられること。
その一つひとつが、私にとっての「人生の呼吸」だったのだと思います。
私はまだ、自由な生活を手に入れていません。
明日になれば、また仕事のことを考える日々に戻ります。
会議もあります。
数字もあります。
資料もあります。
人の管理もあります。
突発案件もあります。
それでも、あの日の雨の若桜ドライブは、自分の中に小さく残っています。
仕事にすべてを奪われたわけではない。
まだ、自分で行きたい場所を選ぶことはできる。
まだ、知らない道に入っていくことはできる。
まだ、人生の呼吸を取り戻す時間は作れる。
そう思えただけでも、出かけてよかったと思います。
2030年4月に、私は会社に依存しない働き方を目指しています。
その道のりは、まだ遠いです。
不安もあります。
焦りもあります。
本当に実現できるのか、分からなくなる日もあります。
でも、雨の若桜ドライブで感じたあの呼吸を、私は忘れたくありません。
自由とは、どこか遠くにある派手なものではなく、
自分でハンドルを握り、行きたい場所へ向かい、帰りたい場所へ帰ることなのかもしれません。
そんなことを感じた一日でした。

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