ひとりで自由を吸いに行って、帰る場所を思い出した|雨の琵琶湖車中泊旅

AI×ブログ

雨の琵琶湖へ、ひとりで車を走らせた

仕事から少し離れたくて、雨の琵琶湖へ向かいました。

目的地はいくつかありました。

白鬚神社。
メタセコイア並木。
マキノ高原温泉さらさ。
奥琵琶湖パークウェイ。
賤ヶ岳。

どれも行ってみたい場所でした。

でも、今振り返ってみると、私が本当に求めていたのは、観光地を巡ることだけではなかったのだと思います。

仕事に追われる毎日の中で、少しずつ浅くなっていた呼吸を取り戻したかった。
誰にも急かされず、自分でハンドルを握って、知らない道を走りたかった。
雨に濡れた緑の匂いを吸い込みながら、ただ一人の人間として旅をしたかった。

そんな気持ちで、琵琶湖方面へ車を走らせました。

雨のメタセコイア並木は、ただ見る景色ではありませんでした。
窓を開けると、濡れた緑の匂いと湿った空気が車内に流れ込んできました。
それは、仕事の息苦しさとはまったく違う、命の濃さのようなものでした。

マキノ高原温泉さらさでは、雨音を聞きながら露天風呂で体を休めました。
屋根をつたって落ちる雫。
遠くから聞こえる親子の声。
あたたまった体に触れる雨の空気。

その中で、ふと、

「はぁぁぁ〜、幸せだなぁ」

と思いました。

私はもう、十分すぎるほど幸せな時間をもらっていたのかもしれません。

それでも、まだ見ぬ景色を見たい。
まだ知らない道を走りたい。
少し怖くて、少しワクワクするような場所へ行きたい。

そんな自分の面倒くささも、今回の旅では少しだけ受け止められた気がします。

そして旅の終わりには、不思議と帰る場所のことを思いました。

ひとりで自由を吸いに行ったはずなのに、最後には家族の顔が見たくなった。
旅先で友人へのお土産を選ぶ時間にも、ひとり旅の中にある誰かとのつながりを感じました。

この記事では、雨の琵琶湖をめぐった車中泊旅のことを書いてみます。

白鬚神社、メタセコイア並木、マキノ高原温泉さらさ、奥琵琶湖、賤ヶ岳。
その景色の中で私が感じたのは、自由と幸せと、帰る場所のことでした。

ひとりで自由を吸いに行って、帰る場所を思い出した。

そんな一泊二日の記録です。

白鬚神社で、旅の始まりを感じた

最初に向かったのは、白鬚神社でした。

琵琶湖の中に立つ大鳥居。

写真では何度も見たことがありましたが、実際に目の前にすると、やはり不思議な存在感がありました。

湖の上に、静かに鳥居が立っている。

晴れた日の鮮やかな景色もきっと美しいのだと思います。
でも、その日は雨でした。

空は少し重く、湖面もどこか落ち着いた色をしていました。

派手な明るさはありません。
けれど、雨の琵琶湖には雨の日にしかない静けさがありました。

水の上に立つ鳥居を眺めていると、これから始まる旅の入口に立っているような気がしました。

日常から少し離れる。
仕事のことをいったん脇に置く。
自分でハンドルを握って、行きたい場所へ向かう。

その最初の景色として、白鬚神社はとてもよかったと思います。

旅には、始まりを感じさせてくれる場所があります。

そこに着いた瞬間に、

「ああ、ここから旅が始まるんだな」

と思える場所。

白鬚神社は、私にとってそんな場所でした。

鳥居の向こうには琵琶湖が広がっていて、その先にはまだこれから向かう景色が待っている。

メタセコイア並木。
マキノ高原温泉さらさ。
車中泊の夜。
翌朝の奥琵琶湖。
賤ヶ岳。

まだ何も始まっていないようでいて、もう旅は始まっている。

そんな感覚がありました。

もちろん、その場に長くいたわけではありません。

ゆっくり時間をかけて参拝したというより、旅の途中で立ち寄り、雨の琵琶湖と鳥居を眺めた時間でした。

でも、それで十分でした。

旅の最初に必要なのは、たくさんの出来事ではなく、心の向きが少し変わることなのかもしれません。

さっきまで職場のことや日常のことを考えていた頭が、少しずつ旅の方へ向いていく。

見慣れた景色から、見知らぬ景色へ。
いつもの自分から、旅をしている自分へ。

白鬚神社の鳥居を眺めながら、私は少しずつ、日常から旅へと切り替わっていくのを感じていました。

これから雨の琵琶湖を走る。

知らない景色を見に行く。

温泉に入り、車の中で夜を過ごす。

その始まりに、静かな湖と鳥居があった。

そう思うと、この旅は最初から少し特別だったのかもしれません。

メタセコイア並木は、見る景色ではなく吸い込む景色だった

白鬚神社をあとにして、次に向かったのはメタセコイア並木でした。

滋賀県高島市にある、まっすぐに伸びる並木道。

写真では何度も見たことがありました。

道路の両側に、背の高いメタセコイアがずらりと並んでいる景色。
季節によって、緑にも紅葉にも雪景色にもなる場所。

いつか行ってみたいと思っていた場所のひとつでした。

車は、メタセコイア並木の近くにあるマキノピックランドに停めました。

そこで少し休憩し、家族や友人へのお土産も買いました。

ひとり旅ではあるけれど、旅先で誰かの顔を思い浮かべながらお土産を選ぶ時間がある。
それもまた、旅の楽しさのひとつなのだと思います。

そして、いよいよメタセコイア並木へ向かいました。

その日は雨でした。

晴れた日のメタセコイア並木も、きっと気持ちがいいのだと思います。
青空の下、まっすぐ伸びる緑のトンネルを走るのも、間違いなく爽快だと思います。

でも、雨の日のメタセコイア並木には、雨の日にしかない良さがありました。

緑が濃い。

ただ濃いだけではなく、雨に濡れて、葉も幹も空気も、全部がしっとりと深くなっているように感じました。

私は車の窓を開けました。

雨の日にわざわざ窓を開けるなんて、少しおかしいのかもしれません。

でも、その時はどうしても開けたくなりました。

窓を開けると、湿った空気が車内に流れ込んできました。

雨に濡れた緑の匂い。
土の匂い。
木々の間を抜けてくる風。
少しひんやりした空気。

それらが一気に車の中へ入ってきました。

その瞬間、メタセコイア並木は、ただ見る景色ではなくなりました。

吸い込む景色になりました。

目で見るだけでは足りない。
写真に撮るだけでも足りない。
窓を開けて、匂いも、湿度も、風も、全部まとめて体の中に入れたくなる。

そんな景色でした。

仕事に追われている毎日の中で、私はいつもどこか息苦しさを感じています。

会議。
資料。
数字。
報告。
突発的な対応。
誰かの不安。
自分の焦り。

そういうものに囲まれていると、呼吸をしているはずなのに、どこか浅い呼吸になっているような気がします。

でも、雨のメタセコイア並木で吸い込んだ空気は、それとはまったく違いました。

仕事の息苦しさとは違う、命の濃さのようなものがありました。

濡れた緑の匂いを吸い込むたびに、体の奥の方まで少しずつ空気が入ってくる。

自分がちゃんと生きていることを、体の方が先に思い出していく。

そんな感覚がありました。

もちろん、ただ車で並木道を走っただけです。

特別なことをしたわけではありません。

でも、その「ただ走るだけ」の時間が、とても豊かでした。

道の両側から伸びる木々。
雨に濡れた葉。
フロントガラスを流れる雨粒。
窓から入ってくる湿った風。
車内に混ざる緑の匂い。

それらが全部重なって、私の中に入ってきました。

ああ、こういう時間が欲しかったんだ。

そう思いました。

観光地を効率よく巡ることではなく、写真をたくさん撮ることでもなく、誰かに自慢できる旅をすることでもなく。

ただ、自分の体が反応する景色の中に入っていくこと。

その場所の空気を吸い込んで、少しだけ自分の呼吸を取り戻すこと。

私が車中泊旅に惹かれる理由は、こういうところにあるのかもしれません。

雨のメタセコイア並木は、派手な絶景というより、体に染み込んでくる景色でした。

見た景色ではなく、吸い込んだ景色。

きっと私は、あの雨に濡れた緑の匂いを、しばらく忘れないと思います。

マキノ高原温泉さらさで、もう十分幸せだったことを思い出した

メタセコイア並木を走ったあと、マキノ高原温泉さらさへ向かいました。

雨に濡れた緑の匂いを吸い込み、少しずつ体の奥に空気が戻ってきたような感覚のまま、温泉へ向かう道を走りました。

マキノ高原に近づくと、景色の空気が少し変わっていきました。

低く雲のかかった山。
雨に濡れた高原の緑。
近くを流れる川の音。
木の建物の落ち着いた雰囲気。

晴れた日の高原なら、きっともっと開放的で爽やかなのだと思います。

でも、その日は雨でした。

その雨が、かえってよかった。

空気がしっとりとしていて、音も匂いも近く感じられました。
景色全体が、少し静かに息をしているようでした。

温泉に入ると、雨の中を走ってきた体がじんわりとあたたまっていきました。

湯船につかる。
肩の力が抜ける。
頭の中に残っていた仕事のざわつきが、少しずつ遠のいていく。

ただそれだけのことなのに、

「ああ、こういう時間が欲しかったんだ」

と思いました。

露天風呂では、あたたまった体を少し冷ましながら、イスに腰かけてぼんやりしていました。

屋根をつたって落ちる雨の雫。
静かに続く雨音。
どこかから流れてくるBGM。
時折、遠くから聞こえてくる幼そうな男の子とお父さんの会話。

その全部が混ざった時間の中に、私はただ座っていました。

何かを考えようとしていたわけではありません。

これからの仕事のことを整理しようとしたわけでもありません。
2030年の計画を考えようとしたわけでもありません。
ブログの記事構成を考えようとしたわけでもありません。

ただ、雨の音を聞いていました。

ただ、あたたまった体に外の空気が触れるのを感じていました。

ただ、その場にいました。

そして、ふと、

「はぁぁぁ〜、幸せだなぁ」

と思いました。

声に出したのか、心の中だけだったのかは、はっきり覚えていません。

でも、その感覚だけは残っています。

大げさな出来事があったわけではありません。

ものすごい絶景を見た瞬間でもありません。
誰かに特別な言葉をかけられたわけでもありません。
何か大きな成功を手にしたわけでもありません。

ただ、雨の日の露天風呂で、体を休めていただけです。

それなのに、十分だと思いました。

私はもう、十分すぎるほど幸せな時間をもらっているのかもしれない。

そんなことを思いました。

家族がいる。
友人がいる。
帰る場所がある。
雨の中を走れる車がある。
見たい景色へ向かえる体がある。
温泉に入り、雨音を聞きながら「幸せだなぁ」と思える時間がある。

考えてみれば、それはもう十分すぎるほどありがたいことです。

普段の私は、どうしても足りないものに目が向きます。

時間が足りない。
自由が足りない。
お金が足りない。
体力が足りない。
仕事から離れる余裕が足りない。
2030年に向けた準備も、まだまだ足りない。

もちろん、それは現実です。

会社に依存しない働き方を目指すなら、やらなければならないことは山ほどあります。
不安もあります。
焦りもあります。
このままで本当に間に合うのかと思う日もあります。

でも、あの露天風呂に座っていた時間だけは、足りないものよりも、すでにあるものの方が静かに胸に浮かんできました。

私はもう、何も持っていないわけではない。

むしろ、たくさんのものを持っている。

大切な人。
大切な時間。
帰る場所。
自分で選んで走れる道。
そして、まだ見ぬ景色を見たいと思える心。

そのことを、マキノ高原温泉さらさの露天風呂で思い出したのだと思います。

不思議なことに、そう思ったあとも、「もうこれで十分だから、何も望まなくていい」とはなりませんでした。

十分幸せだ。

でも、それでもまだ見ぬ景色を見たい。

そんな気持ちも、同時にありました。

我ながら面倒くさいなと思います。

満たされているのに、まだどこかへ行きたい。
幸せを感じているのに、まだ自由を求めている。
帰る場所があるのに、また知らない道へ出たくなる。

でも、それも自分なのだと思います。

今ある幸せを大切にしたい。
それでも、まだ見たことのない景色に会いに行きたい。

その二つは、きっと矛盾ではありません。

私にとって車中泊旅は、今ある幸せを捨てるためのものではなく、その幸せを思い出すための時間でもあるのだと思います。

そして同時に、まだ自分の中に残っている冒険心を確かめる時間でもある。

雨のマキノ高原温泉さらさで、私はもう十分幸せだったことを思い出しました。

でも、それでもまだ走りたい。

まだ知らない道へ行きたい。

その少しわがままで、少し面倒くさい気持ちごと、私は自分の旅として受け止めていきたいと思いました。

それでも、癒やしだけでは少し足りなかった

マキノ高原温泉さらさで、私はもう十分幸せだったことを思い出しました。

雨に濡れた緑。
露天風呂のあたたかさ。
屋根から落ちる雨の雫。
遠くから聞こえてくる親子の声。
そして、心の底から出てきた「幸せだなぁ」という感覚。

あの時間は、本当に満たされていました。

仕事から離れて、静かな場所で体を休める。
雨音を聞きながら、ただぼんやりする。
何かを急がなくてもいい時間の中にいる。

それだけで、ずいぶん救われた気がしました。

でも、不思議なことに、それだけでは少し足りない自分もいました。

癒やされた。
満たされた。
幸せだった。

それは間違いありません。

けれど、心のどこかで、

「もう少しだけ、知らない景色を見たい」

と思っている自分がいました。

ただ静かに休むだけではなく、少しだけワクワクしたい。
少しだけ、予定調和から外れたい。
少しだけ、「この道、大丈夫かな」と思いながら進んでみたい。

そういう気持ちが、まだ自分の中に残っていました。

我ながら、面倒くさいなと思います。

せっかく温泉で幸せを感じたのだから、そのまま満足して帰ればいいのかもしれません。

雨の緑を吸い込み、温泉に入り、車中泊の夜を過ごす。
それだけでも、十分に良い旅です。

でも、私の中には、もう少しだけ「冒険したい自分」がいるのだと思います。

大げさな冒険ではありません。

危険な場所へ行きたいわけではない。
無理をしたいわけでもない。
自分を試すために、わざわざ危ない橋を渡りたいわけでもない。

ただ、少しだけ知らない道に入りたい。
少しだけ、地図の先にある景色を見てみたい。
少しだけ、予定どおりではない時間に身を置きたい。

そのくらいの小さな冒険が、私には必要なのだと思います。

車中泊旅に惹かれる理由は、たぶんそこにもあります。

ホテルに泊まる旅もいい。
きれいに整った観光地を巡る旅もいい。
予定どおりに進む旅も、もちろん安心できます。

でも、車中泊の旅には、少しだけ余白があります。

どこで休むか。
どの道を走るか。
どのタイミングで温泉に入るか。
どこでご飯を食べるか。
どこまで行って、どこで引き返すか。

そのひとつひとつを、自分で決めている感覚があります。

もちろん、自由には責任もあります。

無理をしすぎれば危ない。
知らない道に入りすぎれば不安になる。
天気も、体調も、車の状態も、ちゃんと見ておかなければならない。

だから、深追いはしない。

でも、ワクワクは拾いたい。

この感覚が、今の私にはしっくりきます。

怖さを無視して突き進むのではなく、
不安をなかったことにして走るのでもなく、
危険を冒険と勘違いするのでもなく。

ちゃんと帰ることを前提にして、少しだけ未知に触れる。

無事に帰るまでが旅。

そう思いながら、それでも少しだけ、知らない景色の方へハンドルを切りたい。

癒やしは必要です。

仕事に削られた心と体を休ませる時間は、間違いなく必要です。

でも、私に必要なのは、癒やしだけではないのだと思います。

少しの緊張。
少しの不安。
少しのワクワク。
少しの寄り道。
少しの「行ってみようか」。

そういうものがあるから、自分がまだ生きている感じがする。

仕事に追われる毎日の中では、どうしても安全な選択ばかりになります。

失敗しないように。
怒られないように。
迷惑をかけないように。
予定どおりに進むように。
余計な問題を起こさないように。

それは仕事では大切なことです。

でも、そればかりが続くと、自分の中の冒険心のようなものが、少しずつ眠ってしまう気がします。

だから旅では、ほんの少しだけその冒険心を起こしてやりたい。

「大丈夫、無理はしない」
「でも、少しだけ行ってみよう」

そんなふうに、自分に声をかけながら進んでみたい。

雨の琵琶湖車中泊旅で、私は癒やされました。

十分すぎるほど幸せだとも思いました。

でも同時に、癒やしだけでは少し足りない自分にも気づきました。

まだ見ぬ景色を見たい。
知らない道を走りたい。
少しだけワクワクしたい。
でも、深追いはしない。
ちゃんと無事に帰る。

そのわがままで、慎重で、面倒くさいバランスこそが、今の私の旅のかたちなのだと思います。

早朝のメタセコイア並木と、貸し切りの緑の大聖堂

車中泊の夜が明けて、旅の2日目が始まりました。

まだ人も車も少ない朝の時間に、もう一度メタセコイア並木へ向かいました。

前日に雨の中を走ったメタセコイア並木も、とても印象的でした。

窓を開けて、雨に濡れた緑の匂いを吸い込んだあの時間。
見る景色ではなく、吸い込む景色だと感じたあの道。

でも、早朝のメタセコイア並木は、また少し違う顔を見せてくれました。

道路の両側にまっすぐ並ぶメタセコイア。
頭上まで伸びる枝葉。
朝の静かな空気。
まだ動き出していない町の気配。

その中に車を進めていくと、まるで緑のトンネルの中に入っていくようでした。

いや、トンネルというより、緑の大聖堂と言った方が近いかもしれません。

高く伸びた木々が、道の両側から空へ向かって立ち並んでいる。
その枝葉が頭上を覆うように広がっている。
まっすぐ続く道の先に、静かな朝の光がある。

そこに立っているだけで、少し背筋が伸びるような感覚がありました。

観光地のはずなのに、早朝のその時間は、人も車もほとんどいませんでした。

にぎやかな声もない。
車の列もない。
誰かのペースに合わせる必要もない。

ただ、メタセコイア並木と、自分と、朝の空気がある。

早起きしたからこそ味わえた、貸し切りのような時間でした。

安全を確認しながら、道路の真ん中から構図を決めて写真を撮りました。

普段ならなかなかできないことです。

車や人が多ければ、立ち止まることも、ゆっくり構図を考えることも難しい。
でもその朝は、納得いくまで景色と向き合うことができました。

カメラを構える。
少し位置を変える。
木々の並びを見上げる。
道の奥行きを眺める。
もう一度シャッターを切る。

写真を撮っているというより、その景色の中に自分の立ち位置を探しているような時間でした。

旅先で早起きするのは、少しだけ面倒です。

車中泊の朝は、体が少し重いこともあります。
もう少し寝ていたい気持ちもあります。
昨日の疲れが残っていることもあります。

それでも、早朝には早朝にしかない景色があります。

まだ観光地が観光地になりきる前の時間。
人の気配が少なく、景色そのものが静かにそこにある時間。
その場所が、本来の顔を少しだけ見せてくれるような時間。

早朝のメタセコイア並木には、そんな特別さがありました。

前日の雨の並木道は、濡れた緑の匂いを吸い込む景色でした。

そして翌朝の並木道は、静けさの中で見上げる景色でした。

同じ場所なのに、時間が変わるだけで、こんなにも感じ方が変わる。

それも旅の面白さなのだと思います。

昼間に来ていたら、きっとまた違う印象だったはずです。
晴れていたら、もっと爽やかな景色だったかもしれません。
紅葉の季節なら、またまったく別の表情を見せてくれるのだと思います。

でも、私が出会ったのは、雨の翌朝の静かなメタセコイア並木でした。

その時間に、その場所に、自分の足で立てたことが嬉しかった。

仕事に追われる日々の中では、自分の時間を自分で選んでいる感覚が薄れていくことがあります。

でもこの朝は違いました。

自分で起きた。
自分で車を走らせた。
自分でその景色を見に行った。
自分で立ち止まり、写真を撮った。

たったそれだけのことかもしれません。

でも、その「自分で選んだ」という感覚が、旅の中ではとても大切なのだと思います。

早朝のメタセコイア並木は、貸し切りの緑の大聖堂のようでした。

静かで、まっすぐで、少し神聖で。

その中に立っていると、昨日まで仕事に追われていた自分が、少しずつ旅人の自分へ戻っていくような気がしました。

早起きしてよかった。

そう素直に思える朝でした。

賤ヶ岳で、子ども心と旅人魂が満たされた

早朝のメタセコイア並木を味わったあと、次に向かったのは賤ヶ岳でした。

賤ヶ岳という名前は、歴史の中で聞いたことがありました。

でも、実際に自分の足でそこへ行くのは初めてでした。

車を走らせ、賤ヶ岳ロープウェイ乗り場へ向かう。

その時点で、少しワクワクしていました。

旅先でロープウェイに乗る時間は、いつも少し特別です。

自分の足で山を登るわけではないけれど、地上から少しずつ離れて、山の中へ入っていく感じがある。
見えていた景色の高さが変わっていく。
さっきまで車で走っていた場所が、少しずつ下に見えてくる。

ロープウェイに揺られながら緑の中を上がっていく時間は、まるで日常からもう一段、旅の奥へ入っていくようでした。

山頂に着くと、一気に視界が開けました。

琵琶湖。
余呉湖。
山並み。
田園。
町の景色。

いろいろなものが、ひとつの大きな景色として広がっていました。

車で走っているときには見えなかった世界が、上から眺めることで、まったく違う姿を見せてくれます。

湖も、山も、田んぼも、町も、道も。

それぞれが別々にあるのではなく、ひとつの土地としてつながっている。

そんなことを感じました。

そして賤ヶ岳は、ただ景色がきれいな場所というだけではありませんでした。

合戦図や戦場跡の柱、武将像がありました。

今、目の前に広がっているのは、静かな琵琶湖と山並みです。

でも、かつてここでは人が本気で命運を賭けていたのだと思うと、その静けさの奥に、歴史の重みのようなものを感じました。

同じ場所に立っていても、時代が違えば、見えていた景色の意味もきっと違ったはずです。

今の私は、旅人としてこの景色を眺めています。

きれいだな。
来てよかったな。
写真を撮りたいな。

そんなことを考えています。

でも、昔ここにいた人たちは、そんな穏やかな気持ちではなかったのかもしれません。

勝つか負けるか。
進むか退くか。
生きるか死ぬか。

そういう重い判断が、この山の上にもあったのだと思うと、ただの観光地として通り過ぎることはできませんでした。

山頂の風を感じながら、しばらく景色を眺めました。

琵琶湖は静かでした。
余呉湖も穏やかでした。
山も田園も、今はとても落ち着いた景色に見えました。

その静けさがあるからこそ、過去の重みが少しだけ近く感じられたのかもしれません。

そして、そんな歴史の重みを感じたあとに、山頂で見つけてしまいました。

ブランコです。

見つけた瞬間、答えは決まっていました。

当然、乗りました。

大人だからやめておく。

人目があるからやめておく。

そういう選択肢も、もちろんあるのかもしれません。

でも、旅先の山頂で、琵琶湖を見下ろせるブランコを見つけて、乗らないわけにはいきません。

少なくとも、私には無理でした。

ブランコに腰かけて、少し揺れる。

目の前には琵琶湖。
周りには山の緑。
下には町と田園。
背中には、さっきまで感じていた歴史の気配。

その中でブランコに揺られていると、なんだか少し不思議な気持ちになりました。

子どもみたいだなと思いました。

でも、それがよかった。

大人になると、こういうことを少しずつしなくなります。

やりたいと思っても、恥ずかしいからやめる。
楽しそうだと思っても、年齢を考えてやめる。
本当は乗りたいのに、まあいいかと通り過ぎる。

そうやって、少しずつ自分の中の子ども心をしまい込んでいくのかもしれません。

でも、旅先では少しくらい、そのフタを開けてもいいと思います。

目の前にブランコがある。
乗ってみたい。
なら、乗る。

それだけでいい。

琵琶湖を見下ろしながらブランコに揺られる時間は、子ども心と旅人魂が同時に満たされるような時間でした。

歴史のある山に立ち、静かな景色を眺める。
その重みを感じたあとで、ブランコに乗って少し笑う。

この落差が、なんだかとても旅らしいと思いました。

真面目に感じる時間もある。
少し考え込む時間もある。
でも、ただ楽しいからやってみる時間もある。

その全部が旅なのだと思います。

仕事に追われている日々の中では、どうしても「ちゃんとしている自分」でいようとします。

管理職として。
大人として。
父親として。
社会人として。

もちろん、それは大切です。

でも、ずっとそれだけでは息が詰まります。

たまには、山頂のブランコに乗ってもいい。

目の前の景色に素直にはしゃいでもいい。

「楽しそうだからやってみる」

そのくらいの単純な気持ちを、忘れずにいたいと思いました。

賤ヶ岳では、琵琶湖と余呉湖を見渡す景色に心が動きました。

歴史の重みにも触れました。

そして最後には、山頂のブランコに乗りました。

静かな感動と、少しの遊び心。

その両方があったからこそ、賤ヶ岳は私にとってとても印象に残る場所になったのだと思います。

ひとりで自由を吸いに行って、最後に家族の顔が見たくなった

賤ヶ岳をあとにする頃、少しずつ旅の終わりが近づいてきました。

早朝のメタセコイア並木。
奥琵琶湖の景色。
賤ヶ岳から見た琵琶湖と余呉湖。
山頂のブランコ。
近江牛コロッケ。
帰る前に食べた、車内のカップヌードルBIGとおむすび。

一泊二日の旅としては、十分すぎるほど満たされた時間でした。

ひとりで車を走らせ、行きたい場所へ行く。
自分のペースで立ち止まり、自分のタイミングで写真を撮る。
温泉に入り、車の中で眠り、朝の景色を見に行く。

誰かに合わせる必要のない時間。

それは、とても自由でした。

普段の私は、仕事でも家庭でも、何かしらの役割の中にいます。

管理職として。
父親として。
夫として。
社会人として。

もちろん、そのどれも大切です。

でも、ずっと役割の中にいると、ふと自分がどこにいるのか分からなくなることがあります。

自分は何を感じているのか。
本当はどこへ行きたいのか。
何を見たいのか。
何に心が動くのか。

そういう感覚が、忙しさの中で少しずつ薄れていく。

だから私は、ときどき一人で旅に出たくなるのだと思います。

誰かから逃げたいわけではありません。

家族が嫌になったわけでもありません。
今ある生活を捨てたいわけでもありません。
大切な人たちから離れたいわけでもありません。

ただ、自分の呼吸を取り戻す時間が欲しい。

自分でハンドルを握って、行きたい場所へ向かう時間。
知らない道を走り、知らない景色を見て、少しだけ心が動く時間。
「私はまだ、こういう景色を見たいと思えるんだ」と確かめる時間。

今回の琵琶湖車中泊旅は、まさにそんな時間でした。

雨に濡れた緑の匂いを吸い込んだ。
温泉で「幸せだなぁ」と思った。
早朝のメタセコイア並木で、静かな緑の大聖堂の中に立った。
賤ヶ岳で歴史の重みに触れ、山頂のブランコに乗って少し笑った。

ひとりの時間を、思いきり味わいました。

でも、不思議なことに、旅の終わりが近づくにつれて、家族の顔が見たくなりました。

そろそろ帰ろうかな。

そう思ったとき、頭に浮かんだのは、次の観光地ではありませんでした。

家に帰ったら、みんなは何をしているだろう。
今日の旅の話をしたら、どんな反応をするだろう。
買って帰ったものを一緒に食べられるだろうか。

そんなことでした。

ひとりで自由を吸いに行ったはずなのに、最後には帰る場所のことを思っている。

それが少し不思議で、でも、とても自然なことのようにも感じました。

自由と家族は、どちらか一方を選ぶものではないのだと思います。

少なくとも、今の私にとってはそうです。

ひとりで旅に出る時間があるから、帰る場所のありがたさに気づく。
帰る場所があるから、安心して一人で遠くへ行ける。
家族との日常があるから、ひとり旅の時間が特別になる。
ひとり旅の時間があるから、また家族のいる日常へ戻っていける。

その二つは、対立するものではなく、私の中でつながっているのだと思います。

私は自由になりたいと思っています。

2030年4月に向けて、会社に依存しない働き方を作りたい。
自分の人生の時間を取り戻したい。
車中泊旅をしながら、文章を書いて生きていけるようになりたい。

その気持ちは本当です。

でもそれは、家族を置いてどこかへ行きたいという意味ではありません。

帰る場所をなくしたいわけではない。
大切な人との時間を捨てたいわけでもない。
ただ、自分の呼吸を取り戻した状態で、もう一度ちゃんと帰ってきたいのです。

仕事に削られたまま帰るのではなく、
少しだけ自分を取り戻してから帰る。

疲れ切った顔だけを持ち帰るのではなく、
「こんな景色を見てきたよ」と話せる自分で帰る。

そのために、旅が必要なのかもしれません。

今回の琵琶湖旅も、最後には家へ向かう道になりました。

旅は、どこか遠くへ行くためだけのものではありません。

ちゃんと帰ってくるためのものでもある。

ひとりで自由を吸いに行って、帰る場所を思い出す。

それが、今の私にとっての車中泊旅のかたちなのだと思います。

無事に帰るまでが旅

今回の琵琶湖車中泊旅は、本当に良い旅でした。

雨の白鬚神社。
窓を開けて走ったメタセコイア並木。
マキノ高原温泉さらさで感じた、静かな幸福感。
車中泊の夜。
早朝の緑の大聖堂。
奥琵琶湖の景色。
賤ヶ岳から見た琵琶湖と余呉湖。
山頂のブランコ。
近江牛コロッケ。
そして、帰り道にふと浮かんできた家族の顔。

振り返ってみると、この旅には、私が車中泊旅に求めているものがいくつも詰まっていました。

自由。
静けさ。
少しの冒険。
温泉。
車内で食べるご飯。
雨に濡れた緑の匂い。
知らない景色。
そして、帰る場所。

どれかひとつだけではなく、その全部が重なって、今回の旅になったのだと思います。

旅に出ると、私は少しだけ日常から離れることができます。

仕事の役割から離れる。
管理職としての責任から少し離れる。
会議や数字や資料のことを、少しだけ脇に置く。
自分でハンドルを握って、自分で行き先を決める。

その時間は、私にとって大切な自由です。

でも、自由だからといって、どこまでも行けばいいわけではありません。

知らない道に入りたい。
まだ見ぬ景色を見たい。
少しだけワクワクしたい。
予定調和から少し外れたい。

そういう気持ちは、たしかにあります。

でも、深追いはしない。

無理はしない。
危ないと思ったら引き返す。
疲れたら休む。
天気や体調を見ながら進む。
ちゃんと帰ることを忘れない。

それが、今の私に必要な旅のルールなのだと思います。

若い頃なら、もっと無茶をすることを冒険だと思っていたかもしれません。

行けるところまで行ってみる。
多少疲れていても走り続ける。
知らない道にどんどん入っていく。
怖さよりも勢いを優先する。

そういう旅にも、きっと面白さはあります。

でも今の私は、家族がいます。
帰る場所があります。
守りたい生活があります。
そして、2030年に向けて続けていきたい挑戦があります。

だからこそ、旅は無事に帰ってきて初めて旅になるのだと思います。

どれだけ良い景色を見ても、
どれだけ心が動いても、
どれだけ自由を感じても、
帰ってこられなければ、その旅は完成しません。

無事に家に帰り、車を停め、荷物を降ろす。
家族の顔を見る。
旅先で買ったものを渡す。
「こんな景色を見てきたよ」と話す。
少し疲れた体で、いつもの場所に戻る。

そこまで含めて旅なのだと思います。

今回の旅で、私はもう十分幸せだったことを思い出しました。

でも、それでもまだ見ぬ景色を見たいとも思いました。

癒やしだけでは少し足りない。
少しのワクワクが欲しい。
知らない道へ行きたい。
でも、深追いはしない。

この少し面倒くさいバランスが、今の私らしい旅の形なのかもしれません。

自由を吸いに行く。
でも、帰る場所を忘れない。

まだ見ぬ景色に会いに行く。
でも、大切な人たちのいる場所へ戻ってくる。

ワクワクは拾う。
でも、無事に帰る。

その繰り返しの中で、私は少しずつ、自分の人生の呼吸を取り戻していきたいのだと思います。

2030年4月に向けて、私は会社に依存しない働き方を目指しています。

その道のりは、まだ遠いです。
不安もあります。
迷いもあります。
本当にたどり着けるのか分からなくなる日もあります。

それでも、今回の琵琶湖車中泊旅で感じたことは、きっとこれからの自分を支えてくれる気がします。

私はもう、十分幸せなものを持っている。
でも、それでもまだ見ぬ景色を見たい。
自由を求めたい。
自分の人生の時間を取り戻したい。

そして、ちゃんと帰る場所へ帰りたい。

雨の琵琶湖を走った一泊二日は、そんなことを思い出させてくれる旅でした。

無事に帰るまでが旅。

その言葉を、これからの車中泊旅でも忘れずにいたいと思います。

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